Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

愛してるぜ。恋してるぜ。

 無性に何かが、誰かがいとおしくなる時って、ない?

それは別にものでも、動物でも、人でもいいし、人の中だって身近な人でも、アイドルみたいな遠い人でもいい。そういうものって明日を生きるのに必要だ。

 

 明日はあの人がテレビに出るから、あさっては友達の誕生日だから、しあさってはCDの発売日だから、そうやって一日一日を指を折りながら過ごしていく。死のうとするのを辞めるような、それでも明日を生きる決意をするその姿ってすべて等しく尊いよ。だから好きなものが多い人って楽しそうに見えるんだ。

 

 だけどいとおしさとは違う。いとおしさって、なんていうか、誰かに大声で言いたいんだけど誰にも知られたくないんだよね。閉じ込めておきたい。それのために何でもできそうな気もしてくるけど、それから離れることはしたくない。ままならないね、愛。だけど、僕らはそれで生きているのかな。

 

 僕はウイルスのせいで学校に行けていないから、自由に使える時間が多いです。だからなるべくいろんなものに触れる努力をしているけど、その中でごくまれにいとおしさを感じることがある。この間書いたかわいさを知っている人の話、あれも僕のいとおしさの発露です。ああいう風に、むずむずして、背中がかゆくなって、胃をぎゅうと握りしめられるような、それでも幸福感で満たされるような、そんないとおしさを感じます。もはや、恋。

 

 もちろんそれがすべてではない。他にも、夕暮れとか、冬の温かい日差しとか、コーヒーとか、CDとかギターとか、捨てられないものっていっぱいある。これが今の僕を構成しているのは間違いないし、やっぱり捨てられないくらい愛してる。そしてそういうものって一回はいとおしさを感じていたりするのよね。だから結局僕の今は恋で構成されている。暴論。

 

 恋って偉大だよね。女の子をかわいくするから。すべてを変えて原型をなくして、それでもなお明日への希望と生きがいを残す。だから僕も、いとおしさを恋だとめでたい頭で勘違いしながら、明日を待とうと思う。ちなみに僕にとっては、ドーナツが、特にオールドファッションがいとおしい。