Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

認められたい。

 承認欲求ってどこから生じるのでしょう。僕は「親に褒められたい」というもはや本能のような刷り込みが最初だと思う。それが適度に満たされた人ほど自己肯定感が強く、足りなかったらその分だけ吹けば飛ぶような強度になるのではないだろうか。

 

 そもそも、なんで親に気に入られないといけないんだろうね。僕らは望んで生まれてきたのかもしれないけど、生前のことなんかわからないわけで。実際にこの世界で知覚できるのって、自分の誕生は自分以外の誰かのせいで起きたってことだけで、それでもなぜ僕らは生きることに感謝しないといけないの。親の望む子供でいないといけないの。

 

 生きていることが嫌になったわけではありません。それなりに辛酸を嘗めつつも人並みには生きられていると思います。だからこれは単純な疑問。なぜ僕らは親に「養われている」のか。「できるのにしない」人はともかく、まだ自立できない子供と大人のはざまにおいて、なぜ「養ってやっている」と言われねばならぬのか。成長するまで養う、その覚悟をもって僕らを生んだんじゃないのか。なんて自分勝手。

 

 閑話休題

僕は弁護士になりたい。それはそれは非常に不純な動機からであるが、まあ要するに生きているだけで社会から認められたいのだ。認められやすい職業、一つには人前に顔をさらす職業。それができるほどいい顔なわけでも突出した何かを持つわけでもない。そうなるとやはり職業への制限が強いものにならないといけない、希少性的なあれ。そんな不純な夢に向かって今日も勉強します。