Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

不思議の国のぼくら。

 小さいころ、まだ世界のいろいろな仕組みがわかっていなかったころに見た世界。今思えば、それはまさに「不思議の国」だったのではないだろうか。車の助手席に座りながらそんなことを考えていました。

 

 小さいころ、雲はどうやってできると思っていたのだったか。ATMはどんな仕組みで動いていたのだろうか。テレビの中には何があると信じていたっけ。

 

今でこそ大抵のことには説明がつくし、わからなくても調べて理解するくらいの知識が身についてしまった。それは確かに成長ということなのだろうけれど、少しだけもったいないとも思うんです。

 

 窓の外を流れる風景に園バスを見つけたら、幼稚園に行きたくないと泣きながら登園した記憶がよみがえってきた。別に幼稚園そのものが嫌いだったわけではない。親と離れるのもそれほど抵抗はなかった。友達はいたし、帰りの歌を歌えば帰れることを知っていた。それでも行きたがらなかったのは、園長先生の手袋が怖かったからだ。

 

 そう言われても腑に落ちないだろうから、もう少し説明しよう。通っていた幼稚園には送迎バスがあり、運転手は園長先生だった。いつも白い手袋をつけてハンドルを握っていたのをよく覚えている。元気かなあ。当然バスの入り口には段差があり、幼い子供たちにとっては非常に大きい段だった。園長先生はだから、子どもたちが後ろに転げ落ちないように腕をつかんで引っ張り上げていたのだ。それを見た幼き頃の僕は、手袋が先生を操っていると思っていた。強い力で引き上げられるのが、いつもの優しい園長先生とは重ならず、その異質さが怖かった。

 

 今思えばそれは園長先生のやさしさではあるのだが、幼稚園生には理解できないだろう。けれど、手袋が先生を操っている、そんな世界観って面白いなあ。そんなことを思う僕の横を、ネコバスみたいな幼稚園バスが通り過ぎていく。

 

 雲は「雲生産工場」がせっせと白い煙を吐き出しているのだと思っていたし、ATMの中には人がいるか、またはジェットコースターのようにすごい勢いでお金が地中のパイプを介してほかのATMと交換されていると思っていました。テレビの中には人が入っているとは思わないまでも、小人くらいは入っていてせっせと働いてくれているのだと思っていました。かわいげのある子ですね。

 

 義務教育などとうに終えて、世界の仕組みをある程度知ってしまった今では、もうそんな世界を見ることはないのかもしれない。学習する内容はどんどん観念的になっていくから、目に見えるものに対して不思議に思うこともどんどん少なくなってきました。あの頃は毎日が大冒険だったのになあ。幼き日の、天地がひっくり返るほどの鮮烈な発見も、今ではこうして書き留めておかないと忘れてしまいそうなほどに薄れている。

 

 学習とは知識を蓄えることであると同時に、正しさを知って間違いに寛容ではいられなくなることでもあると思います。だから、正しいと言われたことを正しいこととして受け入れ、自分の世界における間違い、すなわちオリジナルを修正して現実に近づける。そうして自分だけの世界が回らなくなっていって、気付けば忘れ去られてしまう。

 

 けれどあの時見ていた未知の世界は、そしてそこに見つけたいろんな法則は、それがどれだけ現実に反していようとも「自分だけの世界」と言っていいのかもしれないと思う。少なくとも自分の中でテラリウムのように保存して飼っている分には。そして時々取り出して、幼いころを思い出して感傷に浸るのだ。それが、子どもではないぼくらのささやかなぼうけんなのかもしれないね。