Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

時間がない、とはいうけれど。

時間がない。最近は本当に時間がない。

 

 毎日のように大学のスケジュールが変わって、家にいることになったかと思えば今度は親がアキレス腱を断裂したために家事に追われることとなった。いや、おかしいでしょ。

 

 最近は珈琲を淹れるという一番の楽しみすらできなくなって、もっぱら緑茶を淹れている。簡単だから。もちろんおいしいし一息つけるのだけれど、そうじゃないんだ。ぼくには、コーヒー片手にブログを書いたり、本の感想を書いたりする時間が必要なのだ。

 

 そういえば最近はA5のノートに、読みものの記録を貯めている。本はきっと、生まれる前に選ばなかった人生を追体験できるような、いわば生のカタログだと思う。なんてかっこいいっぽいことを言ってみるけれど、単純にいろんな言葉を知りたいだけです。真っ白なノートに概要と感想を思いついただけ書き連ねている。左利きだから万年筆ではどうにも書きづらいけれど、それはそれで無駄が楽しい。

 

 閑話休題

 

 時間がないのは自分の事情だからしょうがない部分も多いのだけれど、どうにも生き急いでいるような気がして好かない。もっと好きなことを学際的に学んでみたいのだ。そして、たまに部屋の掃除をしたりする、そんなゆったりとした時間の流れが欲しいのだ。そう、思っていたのだけれど。

 

人を人たらしめるのは働くことであり、頑張った分だけスローな時間の糖度が増す。

 

そんなことをどこかで見たような、聞いたような気がする。『ダ・ヴィンチ』の中のエッセイだと思う(最近それしか読んでないし)。

 

確かになあ。昨年一年間は大学生活というものをすべて失ってしまって、時間の余裕はあったけれど夏休みのようなわくわく感はさすがに皆無だった。まあ、休みの理由が理由だからかもしれないけれど。そして、今年のゴールデンウィークは思いのほかウキウキだった。遠出も旅行もできないけれど、近場の本屋に行くことや車を運転することがなぜだかいつもより楽しかった。糖度が上がったのだろうか。

 

 もちろん、無理はしたくない。けれど、そんな考え方でもいいのかな、と思う。ずっと頑張るのでも、ずっとスライムになるのでもなく。そのバランス感覚はこれから磨いていきたいけれど、どこで身に着けるものなんだろうね。

 

 お、こんな時間。夕飯を作らなければ。

 

それでは、今日はこれで。