Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

シャーデンフロイデ、どんな味?

 シャーデンフロイデ。不思議な響き。

どこで聞いたかはとんと見当がつかぬ。多分ラジオとか動画とか、そんな感じのメディアで聞いたんだと思う。けれど、おいしそうだなと感じたのは鮮明に覚えている。

 

「フランスのお菓子っぽいよね。」

スイーツ好きの友人が言った。そうそうそれそれ。まさにそんな感じ。ちょっとサクサクしているメレンゲ焼いたみたいなのに、砂糖がまぶしてあったり、チョコがかけられていたり。そんなイメージ。贈答用のお菓子としてすごく重宝しそうな、そんなサイズ感と価格帯。そごうの地下に売っていそう。おしゃんてぃー。

 

 結局それはどんな意味の言葉なのだろうか。友人も知らなかったので、少しわくわくしながらグーグル先生に聞いてみた。辞書じゃないのは許してほしい。なんせ出先での出来事だったのだから。

 

シャーデンフロイデ 意味』 検索。ヒット。

『自分が手を下すことなく他人が不幸に陥った時の、喜びのような感情。』

 

 うん、なるほど。それはおいしいわけだ。友人と顔を見合わせて噴き出した。そうだよね、ちょっとわかるよね。どれだけ仲のいい友人だって、自分が調子悪いときに相手がそれより悪い状態だったら、ちょっぴり、ほんのちょっぴり胸がすくよね。他人の不幸は蜜の味だもんね。

 

 目の前に友人がいるのにあけすけに言ってしまうのもどうかと思うが、その子も笑いながら同意していたからきっと類友なんだろうな。その子はずっと爆笑していた。

 

 西尾維新先生の作品が好きで、最近物語シリーズを読み返している。登場人物の一人に、強豪バスケットボール部で活躍していたにもかかわらず、足に怪我をして一線を退かなければならなかった少女がいる。その子は紆余曲折あって知り合いから相談を持ち掛けられることになり、気付く。ああ、この人たちは、自分よりも絶対的に圧倒的に不幸な私に話すことで、同情されないと安心している、と。そして同時に思う。私もまた、この人たちの悩みを聞くことで自分より下がいる、と安心できる、と。

 

 結局そんなもんなんだろうな、人間って。こんなに主語を大きくしていいかはわからないけれど。どこに行ったとて不幸話は瞬く間に広がる。それは自分と比べて安心できるからで、つまり不幸がおいしいということに他ならないのだろう。卑しいね。

 

 けれどシャーデンフロイデはおいしいから食べ続けます。用法容量は守るけれど。中毒にならない程度にきをつけながら、自分が卑しいことを自覚して。そして今日も手を合わせる。どこかの誰かの不幸を目の前にして、顔も思い浮かべられないその人の幸福をうわべだけで祈りながら、いただきます。