Wochenende Café

好きなことだけして生きていたらいつか好きな人に会えるミラクルが起きてほしい。

干したての布団。

 何にもしたくない。バイトも学校も行きたくない。起きるのも嫌だしご飯はおいしくない。だけど生きていくにはどうしても必要なことばかり。生きていくって大変ですね。そんなぼくは「もみあげ手裏剣」を燃料にして毎日何とかやっています。

 

 もみあげ手裏剣。天才かと思いました。どういう経緯で誕生したものなのかとかどんな意味があるのかとか全然知らないけど、元気に「もみあげ手裏剣!」って唱えるとなんか元気になる気がする。魔法の言葉です。

 

 しかも、これってポーズまで秀逸なんですよ。耳元から指ハート、みたいな感じなんですけど。だから、何にも知らない人から見ると指ハートなんですよ。知ってる人にとってはもみしゅりだけど。この二面性が面白いし、どんな人にも刺さる素敵ポーズです。

 

 そんなもみあげ手裏剣、通称「もみしゅり」の生みの親は向井康二さん。やっぱりSnowManって個性豊かだなあと感心してしまう。彼がテレビとかで元気に「もみあげしゅりけん!」って言っているのを見るだけで、なぜか少し元気になれるのはなんででしょうか。

 

 そんな向井さんをちゃんと知ったのはたぶん、『冒険少年』だったと思います。目黒さんと二人で無人島に行っていた時かな、明るくて面白い人だなと思ったのがファーストインプレッション。少年ぽくて、遊び心を忘れない、常に全力投球の向井さんを見て、素晴らしいキャスティングと、それまで向井さんのことをあまり知らなかった自分にびっくりしました。こんなに輝いてるのに。

 

 これまであんまりアイドルに強い興味を持たなかった身としては、グループの中の立ち位置とか関係値って外からはわからないと感じる機会が多かった。友人に「この子推しなの、かわいい担当だよ」とか言われても、あんまりしっくりこない。だってその子のかわいいところを見たことがないんですもん。バラエティ担当とかもおんなじで、やっぱりグループ内部のノリとか、そこで発揮される良さってどうしても外からはわかりづらい。だから、「グループの子」みたいに思ってしまうこともしばしば。それって結構もったいないことなんですけどね。

 

 最初は向井さんのこともきっとそんな感じで認識していたのかなあ、とぼんやり思う。SnowManの人。関西弁の子。そんな感じ。それって何が悪いわけでも誰が間違っているわけでもないのに、なんか苦しい。

 

 いま、冒険少年だけじゃなくてドッキリGPとかでも爪痕を残して、番組を愛し番組に愛されているのはとっても嬉しいことだと思う。かつてのぼくみたいな人が知って、興味を持つ足掛かりになるから。いろんなところで向井さんのもみしゅり、もっと見れるようになったらもっと嬉しい。

 

 僕は、等身大な向井さんがとても好きだ。いや分からない、もしかしたら等身大じゃないかもしれない。だけど、少なくともぼくには一番近いアイドルとして印象づけられています。全部に一生懸命で、すがすがしいほど全力で、感情を波打たせながら挑んでいく。普通に見えるけど普通じゃない。全部にきめ細やかに丁寧に向き合う姿勢って、計り知れない努力の上に成り立っていることですよね。彼を見るたび元気をもらえるけれど、発破をかけられているようにも感じます。

 

 あと、言葉も好き。傷つかない言葉とか、温かい言葉を選んでいるんだと思う。もみしゅりとか動脈ピースとか、安心安全、口に入れても大丈夫な素材でできているし、それは人に向ける言葉もそう。場の流れで人を傷つけているのを見た覚えがない。ただでさえ言葉を伝えるのは難しいのに、その場の流れでぽんぽんと言葉を放たないといけないからきっともっと難しい。それでも人を嫌な思いにさせないように振舞える彼はものすごく頭の回転が速くて、何よりも優しいのだろうと思います。

 

 端々に滲む優しさがとってもぬくくて、ぼくはそれを見つけるたびにほっとします。最近見つけたのは、「輝け、おれ」ってやつ。向井さんが自分の映像を見ていて、そろそろ自分の見せ場がくるぞってときに祈るように口にするこの言葉が、お守りみたいですごく強いなと思いました。

これのミソはやっぱり「輝け」ってところ。頑張れ、じゃなくて輝け。頑張ったかどうかってやっぱりシビアな基準だ。自分で頑張っているつもりでも、周りからそう見えているか分からない。頑張るっていう言葉はとても観点的なのに、なぜかみんなが共通のものさしを持っているように感じてしまいます。だけど、向井さんはそこに新しい基準をもってきた。

 

 もちろん「輝く」って言ったって、ぼくらは蛍みたいに発光するわけじゃない。だからこそ、自分が好きに決めていいんじゃないかな、と思えたのがうれしかった。他人に知られない自分だけの基準。自分が自分を客観的に見た評価。自分の世界にはそれで充分なんじゃないかなって。

 

 向井さんは干したてのお布団みたいな人で、身近だからいないと困る。太陽のいい匂いがして、いつもより少しだけあったかめに包んでくれるようなかんじ。疲れたときはそのままダイブするように向井さんのいるすのちゅーぶとか観ています。嫌なこととかも全部忘れさせてくれる。

 

 そんなやさしさを持っているひとはきっと繊細だから、誰かと一緒にいてほしいなと思います。優しいひとは往々にして自分を後回しにする。それは美徳かもしれないけれど褒められたものではない。自分を大事にして、余力で人を幸せにできたらちょうどいいと思うけど、でも彼らのお仕事はそんなに単純ではなさそう。だから、SOSに気づいてくれる人が近くにいて、たまにたくさん甘やかしてみんなに配りすぎたやさしさの修復を手伝っていたらいいな。

 

 それで回復したら、またテレビとかで楽しそうにしていてほしい。にぎやかに笑っていてほしい。間違えても、失敗しても全然大丈夫。テレビの中から「あかんかった!」って明るく笑い飛ばしてくれるこーじくんがいれば、何とかやって行けそうです。

 

 

 

太陽系の真ん中から。

 最近はほんとうによくSnowManを見ているように思う。はまるってこんな感じだったな。刺さる、と言った方が正確かもしれません。日々が楽しい。今日も今日とて誰のことを書こうかなと考えながら生活しています。書くことに意味はないけれど、もしこれからもずっとずっと好きでいられたら、最初の印象と比べてみたいなと思うから。あとは、ほかに表現する方法がないというのもひとつ。絵とか書けないからね。

 

 というわけで。今日は岩本照さんにします。

 

とてもかわいい人だと思う、と言ったら浅すぎるのでしょうか。愛い、いとしい、そんな感情を揺さぶられるようなひと。

 

 もともと、かっこいい人であることはたぶん世に知られていたのだと思う。少なくとも僕が知ったのは、筋トレが好きとか、なんかそういう感じだった気がする。ストイックで、背も高いし、体凄い鍛えるし。チラ見するだけでは、まさに男性らしさのかたまりみたいな人ですよね。こういうステレオタイプで区分けする言い方はあんまり好きではないけれど。

 

 ダンスとかアクロバットもその身体全部がなめらかに動いて、なんというのか、引っかからない、というか、シームレス、というか。癖がない、と言うと、どうしてもいいイメージとよくないイメージが混在してしまう気がして少し違う。目につかないわけじゃなくて、むしろきれいで整えられているから目につく、というのだろうか。

 

 僕は昔少し、ほんの少しだけ体操をかじっていて、アクロバットをやっていた経験がある。基本的に癖のない動きって難しくて、それはたとえ数秒間しか空中に居なかったとしても見えるものなんです。だからさんざん怒られたし。つま先が伸びてないとか、抱え込みが遅いとか、地面見るのが速いとか。けれど、岩本さんにはあんまりそれがないような気がする。理由は分からないけれど。

 

 身長が高いことってアクロバットとかでは結構ネックになったりするんですよね。高く飛ばないといけない、抱え込む距離が長い、エトセトラエトセトラ。ただ、そのぶんきれいであればあるほどとても映える。岩本さんは簡単にこなしてしまうし、跳躍力とか回転とかが強いから、一つ一つの動きの間に空白がある気がする。その空白が余裕に見えるのだろうか、彼が飛ぶときは一瞬時間が止まる。

 

 そして、彼はSnowManでいるときには全然違う顔をするからびっくりした。もっと甘くて、幼くて、やわこい。たまに拗ねたりしては周りに甘やかされる。これがギャップってやつなのでしょうか。それとも、愛される才能というべきなのでしょうか。

僕をSnowManの沼に突き落とした犯人(友人)に聞けば、6人時代の末っ子だったとかなんとか。なるほど、腑に落ちました。と同時に、そんなに信頼できるひとたちに囲まれているのは恵まれている、嬉しいことです。

 

 僕は、そんなやわらかな彼の芯の強さに焦がれ、憧れている。例えば、彼のギャップを構成しているのはスタイリッシュな外見に対しての甘いもの、かわいいもの好き、怖いもの苦手な内面だったりする。けれどそのギャップが生み出されるのは、ひとえに彼が好きなものを好きと、嫌いなものを嫌いと声に出した結果で、だからそれは彼の強さだ。もしかしたら打算なのかもしれないけれどそんなことはどうでもよくて、自分に正直に生きているって羨ましいなと思う。

 

 それに加えて、リーダーという立ち位置に立ち続けたことにもまた力強さを感じます。きっとリーダーになるってことはグループの顔になるってことで、それは矢面に立つということだ。重圧に耐えうる強さは生半可なものではないでしょう。

 

「○○ってさあ、」このあとに続く言葉がうれしいことなのか、うれしくないことなのか、分からなくても笑っていないといけない、なんて。

 

 けれどそうして笑っていてくれるから僕らは好きになるわけで、難儀だなあと思います。賛辞もアンチも受け止めて、それでもきらきらしているのだとしたら、そのきらきらの成分を少し分けてほしい。切実に。

 

 岩本さんは太陽なんだと思う。遠くからでもきらきら光っていて、けれど近づけば触れられないくらいの熱量を秘めていて、照らしてくれてはじめて見える星がある。太陽系、なんて名前がつくくらい中心で、一番。だけどたまに月に隠れたりして、そのたびにあなたも人間だったと気づくのだろうな、なんて考えます。

 

 笑っていてほしい、けれど無理はしないでほしいとか、僕らは呼吸をするかの如く願ってしまうけれど、これって実は一番難しいことなのかもしれない。呪いみたいなものかもな、とすら思う。

 

 曇ってもいいし、雨でもいい。だから、次に晴れたときは、いちばん強く照らしてほしい。そんな風に願うことで、呪いが打ち消せたらいいのにね。

 

明日天気になあれ。

 

グラス一杯。

 前回からひと月あまり。まさか、SnowManのCDを全て買い揃え、ライブDVDまで予約するほどにドはまりするとは。自分で自分にびっくりです。

 

 この間書いた通り、佐久間さんが入り口になってSnowManという素敵なアイドルにたどり着いた。歌とか、ダンスとか、アクロバットとか、バラエティーとか、いろんな側面がきらきらと瞬いて星のような彼らから目が離せなくなった。それから僕は順調に、一人ずつ順番に知って、好きになっている。

 

 今はふっかさんこと、深澤辰哉さんのターン。何を隠そう、SnowManを好きになったことを友人に報告したら、「私の推しは深澤さんだから!」と布教されたのが始まりであり終わり。もうこの沼からは抜け出せないのだろうな、なんて、今では人ごとのように思っています。沼が深かった。

 

 深澤さんはもともと整った涼やかなお顔立ちをしているので、とっかかりは「ジャニーズだ…」という何とも軽薄な感想からでした。個人的な好みだけれど、深澤さんのすっとした目がなんとなく冷たい感じがして、僕としてはかわいいアイドルというよりもかっこいい、美しいイメージが強い、そんな方。

 

 けれど転機が訪れる。そう、すのちゅーぶ。

 

後輩から『君の彼氏になりたい。』という曲のDance Practiceを、半ば強制的に見せられた。勧められなかったら、たぶんSnowManに堕ちることはなかっただろうなあ。そう思うくらい僕の趣味に合っていたので後悔こそしていないけれど。曲調もおしゃれ、振りも手話っぽくて独特で、歌詞もユーモアに富んでいて一人一人の声が映える。最高ですね。あまりに観すぎて、今となっては大体踊れます。

 

話が逸れました。

 

そんなふうに曲にハマって、何度も観て。ほかの曲も聞こうかな、なんて視線を下げたら、おすすめ欄に、もうひとつ同じ曲の動画があるじゃないかと。Youtube側さんやるな、と。当然観ますよね。そしたらなんか頭にタオル巻いてるじゃないですか。めちゃめちゃ踊るじゃないですか。面白いじゃないですか。

 

 かくして、深澤さんの沼に足を取られました。友人は「リアコ」などと称していましたが、わかる気がする。大人っぽさと少年ぽさ、色気と幼気、冷たさと温かさ、強さとやさしさ。相反するものが矛盾せず、絶妙なバランスで混ざり合っている。罪な男。

 

 そんな深澤さんは、調和のひとだと思う。ふわりゆらり、はらり。羽の生えたような動きは、やわらかい曲の中では美しく映え、重厚で力強い曲の中では、他メンバーの強さが威圧に変わらないよう、彼らと僕らの間に調和をもたらしてくれる。甘い歌声も、その柔らかさと安定感から誰との組み合わせでもきれいなハーモニーを奏でる。MCでも、彼はそれぞれの話に耳を傾け、時には面白おかしく演じて楽しませてくれる。ともすれば個性がぶつかりそうなグループを、優しく包み込むようにまとめてくれる。中庸でも均衡でもない。シーソーを傾けるのではなく、風呂敷で包む。少なくとも僕にはそう見える。

 

 ここからは余計なお世話かもしれない。聞きたくない人は耳をふさいで、見たくない人は飛ばしてください。けれど、ときどき不安になる。そのやさしさが故に、彼はすべてを自分のものとするきらいがあるから。

 

SnowManというグループは、光を浴びるまでの準備期間が長かったのだと知った。この名を授かり、6人から9人へと姿かたちを変えながら、その中心でじっと耐えていた。そんなとき最年長という肩書は、ややもすれば重すぎるのかもしれない。彼はかつて、舞台上で涙したのだという。

 

今、すごく踏ん張りどきだと思うんです。だけど、僕だけでは守れないんです。

 

彼があのときあの場所で何を思っていたかなんて、きっと誰にも分からない。けれど、画面の向こうに彼を見た僕は、その言葉が助けてと泣いている子供のようで苦しくなった。人の前で弱い部分を見せるような人には思えなかったから。人の涙に感化されたのなんていつ以来だろう。あの頃の彼は今何を思うのか、ふと気になることがある。

 

 もうひとつ気がかりなことがあるとするなら。どうか、自愛を忘れないでほしいと強く願う。彼は優しくて、優しいから、きっとたいていのことは笑って受け流せてしまう。自分で自分のことを面白おかしく表現することもある。それはきっとエンターテイメントの世界では必要なことで、だけど、それは傷つかないことを必ずしも意味しない。

疲れたら休んでほしい。悲しい時には泣いてほしい。苦しいなら叫んでほしい。そしてそのときには、誰かの声が届いてほしい。あなたは美しいと。格好良くて、しなやかで、強かな、愛されるべき存在なのだと。たとえ誰もが、ひとりで泣く、その隣にいられないとしても。

僕らはもう、あなたがどれだけ気高く美しいか知っている。

 

 最後に、タイトルの話だけ忘れないように書いておきます。グラス一杯。これは僕が深澤さんに勝手に抱いた印象です。

どんな飲み物を注いでも美しく引き立たせられるようなグラス。かたちなきものに彼なりのかたちを与えて僕らに見せてくれる。それはときにメンバーだったり、タレントさんだったり、俳優さんだったり、芸人さんだったり。

1人の時ですらも中身はいつだって空虚ではない。誰かからもらったもの、誰かのいいところ、誰かからのやさしさ、そして周りのひとへの愛をいっぱいに注いで、ゆらゆらと揺れている。

 

もしかしたら僕は、その水面に映る影に恋をしているのかもしれない。

 

 

 

p.s. 深澤さん、30歳を迎えられたのですか。知らなんだ。おめでとうございます。

30歳の1年も、こころとからだが健康でありますように。深澤さんの好きなひとたちと一緒に居られますように。おいしいご飯食べて、あったかい布団で寝られますように。

 

太陽のようで、星のようで、ひまわりのようで、桜みたいなダイヤモンドの話。

 春の香りが初夏の緑の香りへと移りゆく今日この頃。いかがお過ごしですか。僕は元気です。薫風がまた素敵な人を連れてきてしまったので、大変は大変ですが。

 

その方、佐久間大介さんっていうんですけど。

 

 言わずと知れた、というのか。国民的アイドル事務所から華々しいデビューを飾ったSnowManというグループ。その大切な9分の1を占めているのが佐久間さん。とっても明るくて、とっても可愛らしくて、けれど計算高くて、かっこよくて、必死で。まさに「アイドル」を体現しているような。平凡な言葉ではあの感動はなかなか書き表せないけれど、そんな印象を受けた。

 

 そもそも男性アイドルというのは、ぼくにとってそれほど自分の中に占める割合が多くないものである。一応、一番好きだったのがV6。ついで周りに流されるように応援していたのが嵐。そんな感じ。若い方はなかなか名前と顔が一致しなかったりして。

 アイドルは嫌いではない。ただ、アイドルというものはどうしても怖いとか、裏切られるとか、そういうイメージがあるのだ。例えば、ファンの人が怖いとか。本人にもいろんなゴシップがついて回っていたりとか。清廉潔白なアイドルなんていないでしょ、そう思って、ぼくは二次元のアイドルとか、安定と信頼の長寿アイドルグループに没頭していたわけです。

 

 そんなぼくがなぜ佐久間さんにたどり着いたか。はじめはアニメ関係だったように記憶している。多分、寺島拓篤さんとかと深夜番組でアニメを語ってたような。それで、宮田さん以外にもアニメ好きアイドルっているんだ、なんて思ったり。

 その数日後、彼がSnowManであることを知る。ここで気づく。SnowManってなんか聞いたことがあるような気がする、と。うっすらとした記憶を手繰り寄せて、どこで知ったのかを順にひも解く。多分デビューより前から知っていた、ような。滝沢歌舞伎、とかだったような。そしてようやくたどり着いた。

 

三宅健のラヂオ』だ。

 

 滝沢歌舞伎に三宅さんが参加するとかで、その告知を兼ねて、三宅さんがゲストとしてSnowManを呼んでいた。佐久間さんはあの声質もあり、またあのパッションもあって、三宅さんにうるさいなあ、とか言われながらかわいがられていた気がする。そうだ。その次の週のラヂオを聞いて、佐久間さん回とのあまりのテンションの差にびっくりしたんだった。

 

 そんな風にめぐりめぐって再び名前を知るところとなった佐久間さん。ここまでくるといっそ運命のようなものを感じて、ぼくは彼をもっと知りたくなった。そして見つけたのがSnowMan Official YouTube Channel。ほんと便利な時代ですね。公式からじかに供給されるんですから。

 

 ぼくは音楽フリークなので、まずは曲が好みでないとなかなか興味が続かないというのがある。アイドルも然り。ルーティーンのようにMVを再生すると、そこには完璧とでもいうべきアイドルがいた。曲に惹かれるよりも先に、そのパフォーマンスに惹かれてしまった。高身長ばかりのグループで、背の順に並んだら一番前になってしまうはずの彼はしかし、誰よりも大きくその体を使い、身長差など微塵も感じさせなかった。一等星のような輝きを身にまとって、見るもの全てを引き付けるような訴求力。ぴたりと止まって一瞬だけ訪れる静寂。そしてなめらかに動き出す全身の動きに完全に見惚れてしまった。

 

 動画が終わる。スクロール。タップ。再生。終了。スクロール。タップ。再生。何度も何度も繰り返して、何なら少し振りを覚えるくらいまで何度も見返した。そしてもっと曲が聞きたくなって、Rec. verの曲たちを再生した。まあ、ここでの選曲が悪かった、というか。いやむしろ良すぎたというべきなんでしょうねあれは。『君の彼氏になりたい。』。佐久間さんの魅せ方のうまさに何度も感嘆して息を呑んだ。手の動きから視線までがたおやかで。これがただのレコーディングとは思えなかった。ここからまた無限ループの沼にはまる。

 

 そして最後にたどり着いたのは企画動画。ここでの佐久間さんは思っていたのと違った。あんなパフォーマンスをする人だから、なんとなく不愛想だったりするのだろうか、だなんて下らんことを思ってましたよ、最初は。

 だけどふたを開けてみれば、天真爛漫で無邪気な、太陽のような彼がいた。正直「ボードゲームやりまぁす!!」の掛け声にはびびりましたね。そんな感じなん?って拍子抜けしたというか。全力で楽しんで、全力で戦って。たかがゲームに一喜一憂して、いろんな表情を見せてくれる佐久間さんは、ラヂオで聞いた佐久間さんそのものだった。映像化されている分感慨深いものがありますね。

 

 と、まあどのような過程を経て佐久間さんを好きになったのか。備忘録的に書いてみたらもう2000字。多い。次はもう少し減らせるといいですね、善処します。本当はグループ皆さんのことを書きたいくらい個性の強い方々だったのだけど、この1回ではもちろん書ききれないので次の機会に。

でも彼の魅力についてはもう少しだけ書いておきたい。

 

 佐久間さんの魅力はその多面性にあると思う。写真やMVですら色っぽい姿、桜のような儚い表情、力強く男らしい視線、可愛らしい仕草と、その表情をころころと変える。そしてその計算高さとは対照的に、YouTubeではきゃはきゃはとひまわりのような笑顔を見せる。ダンスやアクロバットはぴかいちでも球技は苦手、そんなところも彼の素敵な多面性の一部だ。

 

けれど、本当にそれだけなのだろうか。

 

ぼくは、彼の多面性はあくまで反射した光でしかないんじゃなかろうか、と思っている。もちろんかっこいい彼もかわいい彼もあざとい彼も面白い彼もぜんぶ佐久間さんなのだけれど、それらすべてが計算でもおかしくないよな、と思っているのだ。ううむ、こういう言い方すると嫌な感じに響くのだろうか。

 

 最近は、見られ方を計算すること、キャラを作ること、それを立てること、そういったことを悪いことだという人が多いように感じます。特にアイドルは素を見せてなんぼ、みたいなところもあるような気がする。けれど、キャラを作って、それを演じることなんてぼくらみんな社会で生きるためにやってることで、それを否定するのはおかしいよ。むしろ、みんなに愛されるためのキャラを作ってそれを磨き上げて頂点に立つ人のほうが、何もせずただ愛されてきた人よりも、その努力の分だけ何倍も尊く美しいと思う。だから、ぼくは「計算している」ってとてもプラスの意味でとらえている。

 

話がそれましたね。

 

 綺麗にカットされたダイヤモンドは、光を美しく反射させるという。佐久間さんは自分のいろんな面を知って、求められている形を知って、それに合うように自分をカットし磨き続けてきたのかもしれない。彼のどの面もきらきらとカラフルに光を映しているのを見て、ぼんやりとそう思った。

身を削って己を磨く。人前に出るために完璧になるという、とてもアイドルらしいあり方に感じます。V6の三宅さんの姿になんとなく重なる。ちなみに三宅さんはぼくの中で、暫定「完璧なアイドル第1位」です。

 

 だけど、削るということは自分の一部分を失うことで、だから僕は、そうじゃないといいなと思っています。そんなんじゃなくて、いろんなものを拾い集めたからこうなったんだよって、アイドルにはそう言って笑っていてほしい。

 

 ちょっといろいろ書きすぎて、自分でもどこに着地がしたいのか見失ってしまった。けれど、ぼくはアイドルの佐久間大介さんが好き。好きだから、おいしいものを食べて、あったかい布団で寝て、好きな人と笑って、人の目から解放された場所で、アイドルの肩書を外せる時間があることを心から願っています。佐久間さんが安らげる時間があるように。身を削りすぎないように。ぼくらの知らないどこかで、アイドルじゃない佐久間さんが笑っているように。

 

 会いに行けないアイドルでいい。だから、ぼくらの前でだけは完璧なアイドルでいてほしい。そんな考え方をする人は、きっと少数派かもしれないですね。ぼくはそのうちのひとりです。

でもきっと、完璧じゃなくなっても好きだから。ただ好きなように生きていてくれたらいいなと思う今日この頃です。そう思わせるってすごいですね。なんて訴求力。引力といった方が正しいのかもしれない。

 

 これからも、桜を見て、桜色の髪を思い出す、それくらいの距離から応援していたいと思います。

 

 

 

 

 

 

生で推しを拝んだ。

アイドリッシュセブンってご存じですか。

最近よくあるアイドルもののゲームで、ただ育成ものではないという理由から手を出した。個人的に育成ゲームにはあんまりおもしろさを見出せないというめんどくさい性格をしているので。その点リズムゲームは音楽ありきなのでいろいろと先が広がると思う。

 

で、そのライブが当たって初めて行ってきました。

いやはや、最近のライブってすごいんですね。ほんと。演出とか派手で、スクリーンとかもだいぶ進歩しているっぽい。これまでアイドルのライブに行ったことない僕にとっては非常に新鮮なイベントでした。

 

と、まあこの辺までは気持ち悪くない感想。ここからどんどん気持ち悪くなります。

 

まず演出。アイドルもののコンテンツ感がほとんど見えない。オープニング映像ですらほとんどキャラのビジュアルを出さず、各アイドルたちのイメージや表現に徹していました。もちろん節々にアニメのライブシーンが流れたりするけれど、それは決して演者さんの見せ場を邪魔するようなものではなく。むしろアニメを現実に移植するなんてことすらしてのけて、本当に感動しました。ハルキの葬送曲まで生で聞けるとは(まじで生)。

 

セットリストも最高でした。最初はさわやかな曲から始まり、初日と二日目の二公演だけでセンター交代と復活を表現。新曲や振り付きの曲でボルテージを上げつつユニット曲に移行し、MEZZO”のアルバムリード曲も聞けました。またピアノ七重奏をセンターステージで生披露して、しっとりした空気からAFFECTiONで大幅に転換。最後は明るく弾けた曲で走り切って、アンコールはEveryday Yeah!から未発表新曲を交えつつMONSTER GENERATiONで特効。駆け抜けてきたアイナナヒストリーを総まくりしたような、初心者でも玄人でも楽しいセトリでした。

 

そして何より演者の皆様。自分を依り代として憑依させる人もいれば、自分なりの「その子」を具現化する人、自分の人格と「その子」を重ねる人、引き寄せて自分の一部にしてしまう人。いろいろな人がいて、そのどれもが正解だと感じられたパフォーマンスでした。どの一瞬を切り取ってもそこには彼らがいて、自分が二次元に吸い込まれたのか、彼らが二次元から飛び出してきたのかわからなくなったような、そんな不思議な感覚を味わえる時間でした。

 

この時世は世知辛い。エンターテインメントは不要とされ、感染者の数が増えるたびに中止を余儀なくされてきました。そんな中でも諦めないでいてくれた人がいたから、あの時間があったのだと思います。あの日アイドリッシュセブンに救われた人は、会場にも、ライビュにも、家にもたくさんいたはずで、だからこそエンタメは必要であると知られなければならないのだと強く思いました。あのライブがいい思い出で終わるのではなく、一つのロールモデルとしてエンタメ業界に影響を与えてくれていれば嬉しいなと思います。

 

君の大好きなものなら、ぼくも多分明日には好き。

 スピッツの新曲です。もともと好きで、久々に聞いたらとてもかわいい曲だった、ので、速攻でダウンロードした。

 

 一番こころ撃ち抜かれたのが表題の歌詞なのですが、すごく共感度が高くない?と思います。誰にでも絶対こんな経験あると思う。別にいちいち恋愛に置き換えることなんてなくて、例えば仲のいい友達にはまってるものを布教されたとき。ある時はテレビの中の推しが好きなものを紹介していたとき。そんな些細なことでものめりこむことって色々あるよね。

 

 ぼくが友人の勧めで始めたものは、ギターとか、英会話とか、漫画とかアニメとか珈琲とかいろいろあるのだけれど、一番訳が分からないのは保湿マニアになったことです。字面もわけわかんない。

友人におすすめの保湿クリームをもらって、それを塗り始めたらまあ肌の荒れないことよ。手のかさつきどころか踵のかさつきすらなくてさすがにびっくりしている。で、そこからなぜ保湿マニアかというと、その保湿クリームが日本には売っていないからです。オーストラリア土産。エミュークリーム。G&Mの。すっごいいい匂いだしほんとなんで日本にないんだろうな。

でもないものはしょうがないので代わりになる何かを探している。結果、立派な保湿マニアの出来上がり。一貫してわけわからない。

 

 そんなどうでもいい話は置いておいて。

この歌詞の一番秀逸なところ(当社調べ)はやっぱり「多分」だと思う。もちろん好きな人が好きなものを自分が好きにならないことだって往々にしてあって、それがその恋人や友人や推しへの好き度に比例しないのなんてみんなわかってる。だけど、その人が好きなものを好きになれないときって、同時に自分からその人自身への好きも疑ってしまうからたちが悪い。その点、この歌はちゃんと「好きにならないかもよ」っていう可能性を自分でわかってる。ちゃんと好きを分けて考えているのが、今の自分に足りないものだななんて反省しました。

 

 好きな人の好きなものはぼくも好き。そんなの幻想だろうなと思う。割とオタク気質な僕の趣味は友人にもあまり理解されないし。だからオタクたちは隠そうとするんだよな。

 だけど、だから何なのだ。知られたところで、そして引かれたところで、そんなもんで相手の中のぼくの評価が変化するなら、むしろこっちから願い下げです。お付き合いは遠慮させていただきます。ほんと。…けど、こんな考え方が少数派なのもわかる。人付き合いを広くしたい人には苦痛だろうな。バランスって難しい。

 

 最近は自分のツイッターアカウントでぼくの好きなもの、アニメとか漫画とか声優さんとか小説家さんとか、そういったものを垂れ流し始めました。きっと見てる人のほとんどが理解できないだろうし、一部に関しては嫌な顔もするんじゃないかな。特にアニメとかは鼻持ちならない人も多いんだろうと思う。けど、少なくともぼくはその使い方のほうが楽しかった。別に誰にリプするわけでもないし、アニメ関係のいいねが増えるだけだけど、それでも。好きなものを好きといえる箱庭ができたような気がしました。呼吸が楽になる。

 

好きな人の好きなものをぼくが好きになれなくても、ぼくはあなたのことが好き。そう言えるのが当たり前にならないかなあ。

 

あとひと月。

 もうすぐ年末か、だなんて思う時期が来ました。早いです。

去年よりはいろんなことができたような、やっぱりできなかったような。日常と非日常のはざまで一年が過ぎてしまった。いやはや。まだ卒業旅行も行ってないのにね。

 

 年の暮れに懐古的な気分になるのは何なのだろう。生まれる前からプログラミングされているかのように、みんなが同時に「今年はあと何日」「今年はこんな年だった」「来年はこれがしたい」だなんて言い始めて、少し怖い。そして2月にはもう新年の抱負なんて忘れているのだから、本当にしょうもない。スタートとゴールがあれば何でもいいのか。

 

 似たような線で言えば、1月生まれが早生まれというのもいまいち納得がいきません。そういうなら一月を年度初めにすべきでしょう。言葉の上でだけ早いといわれても。スタートとゴールはあるけれど、その決め方は非常に適当。早生まれだけど何一つ得してないからな。むしろ学年では遅生まれとでも呼ぶべき存在。幼稚園くらいまではいろいろ苦労したようにも感じます。

 

 結局何が言いたいのかはちょっと自分でもよくわかっていないけれど、(着地点は考えずに走り出すタイプ。うまくいかなかったら全部書きなおせばいい。)まあ別に年の瀬だろうが新年だろうがよそはよそ、うちはうち。いつからか、年を明かすことにそれほど喜びとか特別感を感じなくなってしまったので、ただの冬休みの消化試合です。自分の好きなときにスタートして、好きなときにゴールすればいいと思う。僕はとりあえずあったかくなるまでは冬眠したいです。

それでは、おやすみなさい。