文字を書く、ということと、言葉。
文字を書くというのはどこにでもありふれている行為である。小学校で文字を習ってから一週間以上えんぴつを持たなかった日はないだろうし、自分の名前をすべて漢字で書きあらわせたあの感動は、たぶん今も自分の一部を構成している。とは言いつつも、いまこうしてパソコンで文字をつづっているのは文明の進歩だなあと感動もしたりする。
ということで、ブログをはじめます。まあ、誰も読まないんじゃないかな。
本当はね、インスタグラムとかで書くのが一番身近だし一番楽なの。毎日といわずともぱっと開けるから。書くことなければ全部写真に逃げられる。でもやっぱり文字に起こすという手間こそが、自分の考えをまとめる唯一の手段であるのかもしれないとも思う。
人と話すのが苦手です。年々苦手になる、本当に憶病になったなと思う。初めて人と会うことってこんなに怖いものだっけか。話すことがないのが苦痛で、沈黙が異常に怖い。小学生の頃のトラウマのせいで男と年上が異常に苦手なのに、今のバイト先には基本年上の男性しかいない。向いてないんじゃないのか。
でも、だからこそ文字を書かなければ。誰かと話すのが苦手でも頭の中では常にだれかが会話するようにほこほこと言葉があふれてきて、それがたまると体調を崩すので(物理)。
生き物は死ぬまでに何回拍動するかが決まっているというが。実は発する言葉の数も決まっているのではないかと思う今日この頃。確かね、トットさんていう漫才師さんがそんなネタやってた。「あーあんた今年無駄しゃべり多いわあ。だからね、来年の分がちょっと減ってますのよ。」「え?それは困るわあ。」「そしたらこの申請書かいて今年の語数給付してもらってくださいね。」みたいな。役所的なね。その仕組みがすごくしっくり来たのを今も覚えているしそれが自分の中での「言語」というものの形です。これからその語数をここで少し無駄遣いしようかな。
このブログ、いつまで続くかなあ。